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週末なので、少しじっくりと読むものを…ということで、映画諜報部員ビリーとは本人関係の佐々木さんが、今年2009年3月にドイツで発生した、17歳の少年が学校で銃を乱射した無差別殺人事件を、洋泉社ムック/別冊映画秘宝「マーダー・ウォッチャー 殺人大パニック」でルポした実録犯罪記事「友だちがほしかった…、ドイツ発、孤独な17歳の銃乱射!!」をあげておきます。すでに同書を買って読まれた方も、また初めての方も、どうして、こんな悲惨な事件を少年は起こしてしまったのか…?!、ちょっと考えてみてください…。 → 







国語のドイツ語の授業が始まろうとした矢先、教室(↑写真)のドアが音を立てて開き、15歳のパトリック・シュナイダーが振り返ると、戸口にガスマスクと防弾チョッキを身に着けた黒ずくめの服装の戦闘員が立ちすくんでいた。
パトリックは他のクラスの生徒のジョークだと思って笑いかけたが、戦闘員は何も言わず、黙ったまま銃をかまえると引き金を引いた…!!
ドアに近い席にいた女生徒のシャンタール(→こんなに美少女だった…)の頭が破裂したように血を噴き出して、彼女の体が床に崩れ落ちた。
誰も実弾が飛び出すとは思っていなかった。悲鳴があがり、銃声が連続してこだました。パトリックはビックリしたようにイスから転げ落ち、床に伏せて机の陰に身を隠そうとしたが、すでに自分も背中と腕を撃たれ、頬からも出血していることに気がついた。銃撃から逃れるため、身投げするように窓から外にダイブする生徒たちの姿が、パトリックには不思議な光景のように見えた…。

今年2009年3月11日の朝9時半頃、ドイツ・シュツットガルト郊外ウィネンデンにあるアルベルトビレ実科学校での銃乱射事件で一命を取りとめたパトリックは生々しく現場の様子をマスコミに語ってくれた。パトリックによれば、一旦、立ち去った戦闘員は隣の教室でも銃を乱射した後、また彼のクラスに戻ってきて、「みんな、死んじゃったの?」と声をかけてきたと言う。戦闘員が発したのは、そのひと言だけだった…。

そのガスマスクの戦闘員の正体は、まだ17歳の少年ティム・クレッチュマー(写真→)だった。
昨年、このアルベルトビレ実科学校を卒業したティムは父親の部屋から盗み出した9ミリ口径のベレッタで、母校の後輩生徒9人と3人の教師を射殺した。
ティムは校内で約60発を発射したが、乱れ撃ちではなく、生徒らの頭を狙い定めて撃った。ティムが頭を撃ち抜く“ヘッドショット”にこだわっていたのは、ひとりの友人もいない彼が1日の大半を費やしているオンラインのシューティング・ゲーム、カウンターストライクで頭を撃ち抜くと、アイコンを獲得できるからだと考えられている。シャンタールの頭が破裂した時、ティムの耳には、ヘッドショット!!というゲームの喝采の音声が聞こえ、視界の隅ではアイコンが点灯するのが見えていたのかもしれない…。

学校からの緊急通報を9時33分に着信した警察は、わずか2分という驚くべき速さで現場に駆けつけ、校舎1階の廊下で銃を発砲しているティムを発見した。ティムは警官の姿を見ると即座に逃げ出し、警官たちは走って、彼の後を追い駆けた…。すぐにやって来た応援の警官部隊が9時40分には学校を完全封鎖し、目撃証言から易々と犯人の身許を割り出した警察は10時までにティム・クレッチュマーが両親と妹と暮らす自宅(写真↑)に武装突入して占拠する機敏な対応を見せた。



ドイツ-17歳少年-銃乱射事件-12

しかし、逃走したティムが向っていたのは、学校から少し離れたところにある精神科のクリニックだった。ティムはそこで昨2008年の4月から9月まで、うつ病の治療を受けていた。キッカケは徴兵制度の医療審査で精神科の治療が必要だと診断され、兵役を拒否されたことからだった。ティムは通院と同時に、ウェイト・リフティングなどのスポーツにも打ち込み、人と接する機会を増やして、友人作りにも励んだが成果は虚しかった。結局、ひとりでゲームや、エアガンで射撃をする方がハイになれたので、通院は気づくと辞めてしまっていた。
ティムがクリニックに向った動機は不明だが、何かの恨みを抱いていたのかもしれない。ティムはクリニックの庭に駆け込むと、そこで作業していた庭師に向け、普通に挨拶を交わすかのように発砲し、射殺した…(↓写真)。





クリニックの駐車場に停めたフォルクスワーゲンのミニバン、シャランの運転席で、カザフスタン系ドイツ人のイゴール・ウルフ41歳は治療を受ける妻を待っていた。イゴールの耳に銃声は届いておらず、彼はラジオを点けていなかったので、銃乱射犯逃走中につき、絶対にヒッチハイカーを拾ってはいけないという緊急放送を聞いていなかった。だから突然、後部座席のドアが開いて、少年が飛び込んできたことにア然とし、意味がわからなかった。驚いたイゴールが振り返ると、少年はすかさずイゴールの顔の前に銃口を突きつけ、「クルマを出せ!!、今、学校で15人殺してきた。今日はまだ死体の数が充分じゃないんだッ!!」と叫んだ。カージャックに遭い、自分は人質になったらしいとわかったイゴールは逆らわずにクルマを発進させたが、どっちに向えばいいのか、わからなかった。
すると少年が「南に向え」と告げ、35キロ離れた隣り町のヴェントリンゲンを目指す恐怖のドライブが始まった…。

その頃、ティムの部屋を捜索した警察は、ティムのパソコンからポルノ写真や、バイオレンス映画などを見つけたほか、エアガンを30挺も発見していた。
ティムのガンクレイジーは、父親エルク譲りのものだった。紙を取り扱うビジネスで成功し裕福だった父エルクはひとりで15挺もの銃を所有し、ガンクラブで射撃訓練を欠 かさずに続けるガンマニアだった。しかし、そんな銃に精通してるはずのエルクだが、その危険性には無頓着で、ガンケースに鍵をかけるなどしなかったせいで、ティムは容易に本物の銃を手に入れ、犯行に及ぶことができた。
エルクは事件後、すべての銃を手放し処分したが、息子の情緒不安定を知りつつ、凶器となった銃の管理を怠っていたのは事件の原因を作ったのも同然として起訴されている。
ティムは犯行のおよそ7時間前となる深夜2時すぎに、この父親エルクに向って、友だちができず、孤独で辛い自分の気持ちを嘆いていた。その3週間前にも、エルクは同じような苦悩を綴った手紙をティムから突きつけられたことがあった…。

「友だちがほしかった…、孤独な17歳の銃乱射!!」(Part-Ⅱ)に続く…。



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