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うちのカミさんがね…の名セリフで日本でも大好評を博したテレビシリーズ「刑事コロンボ」で知られる名優ピーター・フォークさんが、現地では昨夜の6月23日(木)に、ビバリーヒルズの自宅で、安らかに息をひきとられたことを、養女の娘キャサリンさんが公表されました。死因は長年、患っていたアルツハイマー病だと伝えられています。(via: ktla)





1927年にニューヨークで生まれたピーター・フォークさんは、幼少期の3歳にして悪性の腫瘍を患い、右目の眼球を除去して、義眼を装着する恵まれない事態を迎えてしまいますが、後に、それが独特の趣を帯びた風貌を生むキッカケとなり、性格俳優としての成功に大きな役割を果たすことになった…という、不幸のデメリットを自分の魅力に変えてしまった人でした。アマチュアの市民劇団から俳優としての活動を開始したピーター・フォークさんは、1956年から本格的にプロの演技者として、ニューヨークの舞台に立つようになり、1960年に出演した、スチュアート・ローゼンバーグ監督の「殺人会社」で、第33回アカデミー賞最優秀助演男優賞の候補となり(受賞者は「スパルタカス」のピーター・ユスティノフ)、続けて、その翌1961年公開の名匠フランク・キャプラ監督の「ポケット一杯の幸福」でも、オスカーの最優秀助演男優賞候補に推されたことで(受賞者は「ウエストサイド物語」のジョージ・チャキリス)、ハリウッドの映画スターとしての地位を磐石とし、「おかしなおかしなおかしな世界」(1963年)や、「グレート・レース」(1965年)といったコメディ映画での活躍で、さらに観客から愛されることになりました。

そうした映画での活躍と並行して、多数のTVドラマに出演していたピーター・フォークさんは、1968年に出演した単発放送のテレビ映画「殺人処方箋」で演じた、見た目は冴えないが、頭脳は明晰という主人公の刑事コロンボ役が注目されて、人気を博し、パイロット版「死者の身代金」を経て、1971年から正式のテレビシリーズがスタートとなり、その後、終生を通じて、刑事コロンボの…と言われる自分の代名詞の当たり役とめぐりあうことになりました。その「刑事コロンボ」の記念すべき第1話「構想の死角」を監督したのが、25歳という若さの映画青年の新人監督スティーヴン・スピルバーグだったことは、映画ファンのみなさんはよくご存知ですね。

1978年まで続いた「刑事コロンボ」シリーズの後、1981年には、ジャンボ堀が出演したことでも話題になった、女子プロレスをテーマにしたスポーツ・コメディ映画の必見の名作「カリフォルニア・ドールズ」を放ったピーター・フォークさんは、80年代末から、また折にふれ、刑事コロンボとして復活し、迷宮に陥りそうな事件を解決する一方で、多数の映画に出演しては、名バイプレイヤーとして作品に味わいを加え、2009年まで、映画のカメラの前に立ち続けていました…。


「刑事コロンボ」シリーズは、ミステリー・ドラマなのに、冒頭で、犯人とその犯行の動機と手口まで、すべてを視聴者に明かし、狡猾な犯人が罪から逃れるために仕組んだ工作を、主人公のコロンボ刑事がどのようにして見抜き、有無を言わせぬ証拠を示して、逮捕の結末に持っていくのか?!という、謎解きのプロセスを楽しむドラマとして、原作者のウィリアム・リンクとリチャード・レビンソンが形作っていったこともありますが、それにしても、そのラストの大逆転のオチを知った後で、またくり返し観ても、おもしろい…!!というのは、やはり、ピーター・フォークさんの名演技の魅力が大きな見せどころだったからに他なりません。
刑事コロンボが亡くなるなんて…、絶対に認めたくない哀しい出来事ですが、これからは罪を逃れて、天国に紛れ込んだ悪党を見つけ出していただければ…と願います。ピーター・フォークさんの半世紀以上の俳優活動の労をねぎらい、心からのご冥福の祈りを捧げたいと思います。



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