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ジョン・ヒューズ

すてきな片思い」(1984年)で映画監督デビューし、第2作めの「ブレックファスト・クラブ」(1985年)の大成功により、青春映画の名匠として、80年代当時に若者の間でカリスマ的な人気を集めたジョン・ヒューズ監督が本日(現地6日)、家族でニューヨークを訪れている最中、朝の散歩中に心臓発作に見舞われ、亡くなられてしまった…と、残念な訃報をゴシップ・サイトのTMZが伝えました…。






マシュー・ブロデリックが主演した青春映画の永遠不滅の名作「フェリスはある朝突然に」(1986年)で、現在も若者の共感を集め続けているジョン・ヒューズ監督は、度々、起用した女優モリー・リングウォルドを80年代のカルチャー・アイコンに育て上げ、彼女を主演に製作した「プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角」(1986年)や、ショート・ヘアのボーイッシュなメアリー・スチュアート・マスターソンが超かわいかった「恋しくて」(1987年)、ケヴィン・ベーコンエリザベス・マクガヴァンの「結婚の条件」(1988年)などでも厚い支持を集めた後、大ヒット映画「ホーム・アローン」シリーズを製作するなど、ファミリー映画の担い手としても活躍した、80年代のアメリカ映画を語るうえにおいては絶対に欠かせない人でした…。
そうした80年代こそが自分が活躍するのにふさわしい時代だと、ジョン・ヒューズ監督は自ら理解していたのか、1991年に発表した「カーリー・スー」を最後にメガホンを置き、その後はプロデューサー、脚本家といった立場で映画に関わり、近年もジェニファー・ロペスの「メイド・イン・マンハッタン」(2002年)や、オーウェン・ウィルソン主演の学園コメディ「Mr.ボディガード/学園生活は命がけ!」(2008年)のストーリーを提供するなどして、観客を楽しませてくれていました…。
また、映画の都ハリウッドではなく、シカゴを拠点に映画を製作し続けたことから、シカゴ派などとも呼ばれたジョン・ヒューズ監督は、現在、各地が経済振興策として地元に映画撮影などを誘致するフィルム・コミッション制度をシカゴで最初に発祥させる礎を築いた人としても功績を遺しています…。
まだ59歳だったジョン・ヒューズ監督が、いつか再び新たな青春映画の名作に着手してくれるのでは…と期待していた映画ファンにとって、同監督の突然の訃報は、まさに胸の痛い、哀しすぎる報せですが、数々の過去の名作でジョン・ヒューズ監督が若者に語りかけようとしたメッセージは青春時代の手引きとして、永遠に色褪せることはないはずです…。
素晴らしい映画を遺してくれて、本当にありがとうございました…と、お悔やみよりも、感謝を強く伝えたい思いです…。




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