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クエンティン・タランティーノ監督の全映画を編集して仕上げ、映画の内容や、方向性を変えて、同監督の演出について、ただひとり、NO!!と言える、もうひとりのタランティーノの存在であるベテラン編集者のサリー・メンケさんが亡くなりました…。タランティーノ監督の映画が死んだのも同然です…。



クエンティン・タランティーノ監督の右腕の懐刀として、同監督の映画の編集を全作品で担当し、一緒に映画を仕上げる間柄だったベテランの映画編集者サリー・メンケさんが死亡したことを、ロサンゼルス・タイムズが報じました…。
アメリカでは昨日となる9月27日・月曜日の朝9時ごろ、サリーはペットのイヌのラブラドール・レトリバーを連れて、知人と一緒に、グリフィス・パークに散歩のようなハイキングに出かけましたが、季節はずれの異例の熱波の猛暑により、知人が約1時間ほどで引き返したのにも関わらず、単独でハイキングを続けたサリーが午後遅くになっても戻らなかったため、心配した友人と家族が同日の午後4時ごろ、警察に捜索願いを出しました。
その一報を受けて、早速、捜索隊が結成され、警察犬が出動し、ヘリコプターも飛ばすなど、空と陸の両面から懸命にサリーの居場所が求められたところ、日付けが変わった翌28日(火)=現地本日の真夜中と言っていい、早朝の午前2時を過ぎて、サリーがハリウッド・ヒルズのビーチウッド・キャニオンの谷底で変わり果てた姿で亡くなっているのが発見されました…。

サリーの死因は今だ特定されてはいませんが、捜索の関係者によれば、当日最高で約45度にまで気温が上昇した記録破りの熱波の中を歩き続けたことで、意識を混濁したサリーが倒れ、そのまま亡くなってしまったのではないか…と見られています。
また、サリーの遺体が見つかった場所からは約110メートルほどの目と鼻の先に邸宅が建ち並んでいたため、あとわずかの距離で助けを求められたのにもかかわらず、サリーにとっては、それすら叶わず、命を失ってしまったことになります。サリーのペットのイヌは無事で発見され、彼女の亡骸に寄り添ってくれていました…(涙)。

クエンティン・タランティーノ監督と「パルプ・フィクション」(1994年)を完成し、同映画でアカデミー賞最優秀編集賞を受賞したサリーの享年は56歳で、この先もずっと、タランティーノ監督と挑戦的な映画作りを続けるはずでした…。
このもうひとりのタランティーノ=サリー・メンケの突然の死は、映画界と映画ファンの両方に大きなショックを与え、混乱が続いていますが、訃報を知ったエドガー・ライト監督は緊急に、以下のような追悼のメッセージを発表しました。
安らかに眠ってほしい…、サリーと直に会えたのは数回だったけど、いつも愛らしい人だった…。
本当に驚くべき感心する編集者だっただけに、こんなに…、こんなにひどい出来事はない…。
本当にこんなにひどい出来事はありません…。創作上の最も大事なパートナーを失い、いったい、この先、どうやって映画を作っていけばいいのか…?!、号泣しているにちがいないタランティーノ監督の心中を思うと、こちらまで胸が張り裂けんばかりに悲しくなってしまいます…。


クエンティン・タランティーノ監督の映画のアクション場面に、より迫力を与え、静かな会話の場面に緊張感を張り巡らしてきたのは、サリーの才能でした。そんな天才的な映画編集者として尊敬を集めると同時に、誰からも愛されたサリーの人柄が偲ばれる、タランティーノ映画のファンの方にはおなじみの、撮影現場から編集室で孤軍奮闘するサリーに向かって語りかけ、彼女の労をねぎらうと同時に、ビックリさせようとするイタズラの“ハイ!!、サリー!!”のビデオを、「デス・プルーフ」(2007年)と、「イングロリアス・バスターズ」(2009年)の両方から、ご覧下さい。
偉大な映画人のサリー・メンケを失った今日ばかりは、誰も神を呪ってかまいません!!











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